Hana奥川恒治が綴る日々のblog

2009.06.23過去のHana第4回奥川恒治の会「山姥」2

女が自身の正体を明かし、かき消す如くに姿を消したところで前半は終わりました。

さて その続きは!

半信半疑だった遊女でしたが月光の中、山姥(後シテ)はその真の姿を現します。山姥は壮大な山の景色を描写し、善悪正邪の差別はないとする平等観と、差別観から見た種々の森羅万象を説きます。その風貌は雪のかかった茨のような白髪、星の如く輝く眼、朱塗りの鬼瓦のような顔色で、「鬼女」と聞いていた通りの恐ろしい姿なのです。が、「恐れることはない」と言う山姥の言葉に遊女は謡うのでした。

「よし足引きの山姥が 山廻りするぞ苦しき」
(山姥は山廻りに苦しみ、人は善悪の差別観に捉われて六道の輪廻に苦しむ)

山の起こり、海の始まりから自然観を語り、山姥自身の核心へと迫ります。雲の如く自在な身を方便として変え、化生の鬼女となって人の前に現れるのだともいいます。この世には善悪正邪の別がない絶対平等観(全ては空であり、無である)とする一面、仏法に世間法、煩悩に菩提心、仏に衆生、人に山姥といった千変万化の差別観をも語ります。山道に疲れた人には肩を貸し里まで送り、機織りをする織女の糸繰りを手伝ったりするものの、人には見えないので人はただ自分を恐ろしい鬼女だと言うのだと言います。そして、このことを都で人々に伝えてほしいと思うものの、それもまた執着心であろうと自戒します。やがて山姥は山廻りのさまを見せ、山の四季折々を語ったかと思うと山から山へと廻り、行方もわからなくなってしまうのでした。

山姥の後半はこの能の眼目の一つともいえる「クセ舞」を、シテ山姥が舞います。世阿弥が「名誉のクセ舞」と呼んだ如く文章・節・型ともに素晴らしいものです。そして太鼓が入り舞台空間は大きな広がりを見せます。どっしりした山廻りから一転、猛烈な勢いで姿を消すエンディングへと一気に駆け込むのでした。

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