Hana奥川恒治が綴る日々のblog

2007.05.07過去のHana源氏物語「夕顔」を上演します

6月30日に源氏物語でお馴染みの「夕顔の上」を主人公にした「夕顔」を上演致します。
しっとりとした源氏物語の世界をご堪能下さい。


豊後[ぶんご]
の国(大分県)の僧(ワキ)が都にやって来ます。都の名所を廻り五条辺りにやって来ると、女(前シテ)の、歌を吟ずる声が聞こえてきます。

「山の端の 心も知らで行く月は 上の空にて 影や絶えなん」
(山の心も知らないでその方へ誘われて行く月は空の途中で消えてしまうことだろう
 

男の心も知らないで誘われて行く私は中途で男に見離されてしまうのだろう)

源氏物語「夕顔の巻」の夕顔の歌を口ずさむ声が聞こえてきます。僧の問いに女はここが

何某
[
なにがし
]

の院で、昔


[
とおる
]

の大臣が住んでいた場所であると答えます。また、光源氏が夕顔の上を物の怪に取られ、悲しみにくれた場所であることを教えます。僧に重ねて問われるままに女は夕顔の上のことを詳しく語ります。


[
はかな
]

く消えた夕顔の上の話をするや、女も消えてしまいます。<中入>

夜もすがら読経している僧の夢の中に夕顔の上が現れます。恋の妄執のため成仏できずに苦しんでいた夕顔の上も、僧の読経により成仏し、明け方の雲に紛れて消えうせるのでした。

夕顔の上を扱った曲は他に「

半蔀
[
はじとみ
]

」と言う曲があり、以前に務めさせて戴きました。半蔀は夏の夕暮れ時に源氏と夕顔の上が出会い、恋が始まる時の淡いようなイメージを持っています。それに対して「夕顔」はその女の儚い生涯、死に至る瞬間に触れているため、夕顔の上の人物像がより鮮明になっています。全体のトーンは半蔀に比べて重く、動きも居クセと少ないので見た目には地味ですが、心理的な動きははるかに多いのです。

死、そして成仏へと儚くも数奇な運命をたどった夕顔の上の生涯。源氏物語「夕顔の巻」を再現しつつ、凝縮された中での心理描写と成仏。本質にどこまで迫れますかご覧戴けましたら幸いです。

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~能を知る会~   於:鎌倉能舞台
平成19年6月30日(土)午後の部:14時始まり

能『夕顔』
シテ(午後):奥川恒治

ワキ:野口能弘
アイ:大蔵 教義
笛 :寺井宏明
小鼓: 古賀裕己
大鼓:柿原弘和

講演「源氏物語と能」尾島政雄
狂言「金藤左衛門」大蔵吉次郎

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