Hana奥川恒治が綴る日々のblog

2009.06.09過去のHana第4回奥川恒治の会「山姥」1

毎年11月に催していました私の会「奥川恒治の会」を、今年は9月26日の第4土曜日に行います。場所も矢来能楽堂から水道橋の宝生能楽堂へと移し、大きな空間でスケールの大きい能「山姥」をお楽しみ戴こうと思っております。

山姥と言うと日本昔話に出てくるような恐ろしげな鬼女を思い浮かべますが、さにあらず!能の中の山姥はむしろ心優しい山の精です。荷物を持って山道を歩く人を助けたり、里まで送ったりするような存在で、仮の姿はあるものの実体は自然そのもののような気がします。

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物語は百萬山姥という都で名高い遊女(ツレ)が善光寺への参詣を思い立ち、善光寺へ向かうところから始まります。この遊女は都で山姥の山廻りすることをクセ舞に作って謡うところから、百萬山姥と名が付いたそうです。越後、越中の境川に着いた一行は土地の人(アイ)に善光寺までの道を尋ねます。何通りかの行き道を教わるのですが、阿弥陀如来が通ったとされる上路越(あげろこえ)という道を選びます。それは乗り物で行くことができない険難な道でしたが、修行のためと迷うことなく一行は分け入いります。すると日暮れにはまだ早い筈なのに日が暮れてしまいます。そこへ一人の女が現れ一行に宿を貸そうと申し出ます。宿に着くと女は山姥の一節を所望します。不審がる一行に女はそのために日を暮し、宿を貸したのだと言い、自身が山姥であることを明かします。怖れ、驚きながらも覚悟を決め謡おうとする遊女に、女は月が出るのを待って謡うように望み、その時真の姿を現そうと言い残して消え失せます。

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さて、遊女百萬山姥が向かった善光寺は今年御前立本尊様の7年に一度の御開帳でした。私は先月上越で仕事がありましたので、そこから長野に回り善光寺へ行って参りました。遊女山姥が目指した善光寺へぜひ伺いたいと思っておりましたところ、運よく御開帳の時期とも重なったと言うわけです。抜けるような青空が眩しく、山々がくっきりと浮かぶ姿はなんとも美しい景色でした。また、平日の午前中だったせいか参拝の方も少なくゆっくりと全て回ることができました。偶然とは申しますものの、導かれるように善光寺へ伺ったように思います。山姥の取材にと思い出かけたものの、内陣へ入り御前立様を拝み、おびんずる尊者に触れ、お戒壇をめぐり、頭をお数珠でなでていただくお数珠頂戴までして戴き、ありがたい結縁を結べました。長野へは新幹線もでき、善光寺への道は格段に近くなり、遊女山姥のような苦労はありませんでしたが、駅前のホテルからわずかばかり歩いた早朝の道は、大変清々しいものでした。

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「山姥」後半の件は次回改めてご案内申し上げます。

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