Hana奥川恒治が綴る日々のblog

2012.05.01過去のHana源氏供養

6月5日(火)に能を知る会で「源氏供養」を舞います。平日の鎌倉で午後の2時始めの会なので、鎌倉の絶品ランチなど召し上がりがてら、お出掛け戴ければ幸いです。

「源氏供養」はいささか変わった趣向になっている曲です。それというのも元々は作者紫式部が地獄に落ちたという伝説が元です。それは光源氏の供養をしなかったため、仏教でいう妄語戒(うそをついてはいけない)という教えに背いたためです。実在しない物語を書くと触れてしまう、と言われるとなかなか厳しい気がします。そのために「源氏物語表白」という供養文まであり、本曲のクライマックス「クセ」はその文言に忠実に従っています。

安居院あごい
法印ほういん(ワキ)が供の僧侶をつれて石山寺へ出掛ける途中一人の里女(前シテ)に呼び止められます。里女は石山寺で源氏の供養を頼み、自身もその時一緒に弔うと言います。
法印は里女が紫式部の霊であることがわかり、石山寺に弔いに行くのでした。
弔いをする法印に式部が舞い人の姿(後シテ)となって現れます。式部は法印の供養の返礼に、源氏のタイトルを織り込んだクセを舞います。そして紫式部は石山の観世音の化現したもので、世の無常を衆生に知らせるための方便に源氏物語を書いたと姿を消すのでした。

紫式部が観世音菩薩の化現でという最後の件はいかにも「能」らしいのですが、そのためにまとめにくくなっているように思います。供養という点では表白文の織り込んだ「クセ」で、タイトルが謡われる度に供養が進んでいくように思います。
「世の無常」ということは光源氏が行きつく所で、それは式部の境地です。
光源氏と紫式部の供養に、源氏物語の作品としての到達域を加えた「能」、それが「源氏供養」と言えるのではないでしょうか。

ご高覧賜れば幸いに存じます。

能を知る会『源氏供養』
平成24年6月5日(火) 14時始まり
講演「源氏物語と能」尾島政雄
狂言「千鳥」善竹十郎
能『源氏供養』奥川恒治

自由席5,500円 座席指定料1,000円

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