Hana奥川恒治が綴る日々のblog

2017.03.03過去のHana「藤戸」後記

2月26日(日)九皐会若竹能にて「藤戸」が無事に済みました。晴れ晴れとした青空の好日で、佐々木盛綱(ワキ)もさぞかし心地よく入部したことと存じます!以前倉敷を訪れてその地を見て回った時も好天、汗ばむほどでしたので、その日のことが思い浮かぶ「藤戸」日和でした。ご来場賜りました皆様には、厚く御礼申し上げる次第でございます。ありがとうございました。

「藤戸」は大変難しい曲でした。前半は能の演技形態としては異例なほどの写実性です。能としての枠の中で収める、また冒険してはみ出てみる、を繰り返します。体からにじみ出る体臭のような感情が、抑えきれずに湧き出てしまうところが一つの肝でした。削り尽くした僅かな動作と言葉に思いを込め、前半が進みます。前半のピークは盛綱のところに母親が迫っていき、盛綱の脇差を取りに行き「自分も子供と同じようにしてくれ」と、迫るところでした。当然ながら盛綱に払われ、地にひれ伏します。これほどまでに写実的で、ある意味泥臭い演技をする能はなかなかありません。

後半は杖という抽象的なアイテムを使って、極めてリアルな演技をします。杖が刀になったり、重石になったり、舟の竿になったりと、抽象性を利用して多彩に変えて使います。漁師ゆえに舟に乗り、持っていた杖は舟を漕ぐ竿となり、彼岸に至ります。彼岸に着き竿(杖)は必要なくなり、捨てて終曲となります。前半からの流れで行きますと、あっさりと成仏してしまうようですが、そこが救済の芸能といわれる能のあり方でしょうか。

稽古をしながらこの悲惨な物語を上演する意義はどれ程有るのだろうか、僕自身も暗い気持ちになりますし、ご覧いただく方にとりましても同じではないかと、一つの疑問を持っていました。それが偶然にも神風特攻隊の話を聞く機会に恵まれ、払拭されました。特攻隊の話をされた方は、この事実を後世の人に伝えて行くことは自分の使命だと仰っていました。この「藤戸」も忘れてはいけない戦の負の部分です。どちらの事も、平和で豊かな現代の日常を再認識でき、感謝する種にほかなりませんでした。この悲劇を伝える意義を改めて思い知り、勤めることができました。
この曲に取り組めたことと、今の平和に感謝、そして戦禍の方たちのご冥福を祈りたいと思います。合掌 。

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